これから少しづつ、自分が経験してきたことを書いていこうと思います。
今振り返ると、幼少期から不思議な経験を重ねており、生かされているとしか思えないこともあったので、
自分史として残しておこうと思います。
私が生まれたのは今から45年前。サラリーマンの父と、専業主婦の母の元に生まれました。父も母も九州出身で当時にしては年齢が行って生まれた私は、一人っ子ということもあり、大切に育てられたと思います。
母は働きに出ていたので、私は保育園に通い、当時おたふく風邪から水ぼうそうと色々な病気をしたので、母曰く「小学校にあがるまでに病気はほぼ全部やった」子供でした。
体は弱くはなかったものの、小学校の頃は水泳をやっていた影響と、アレルギー性鼻炎のため、耳鼻が弱く、
毎日のように母に自転車の後ろに乗せられ、耳鼻科に連れて行ってもらったことを覚えています。
小学校の頃は、下を向けば鼻水が出るので、勉強していても集中できず、今考えれば勉強もそんなに好きでは
なかったと思いますが、当時は父母の期待通りに良い成績をおさめようと無理していたかなと感じています。
「いい子でいることが、親が喜ぶこと」という親目線で生きてきたという感じです。
そんなに成績がずば抜けていたわけではないけれど、それなりに上から数える方が早かったため高校は進学校に
合格したものの、大学は2年浪人して私立の大学に入りました。
ここも名の通った学校だったけれど、さして将来に対する展望があったわけでもなく、
自分で切り開いている感はほぼゼロの人生でした。
そんな私が人間関係に悩みを持ち始めたのは社会人になってすぐ。
学生の時には付き合わなくても済む人でも、社会人となるとそういう訳にもいかず、初めて勤めた証券会社は
1年で退職。ただ、ここは人間関係はさることながら、仕事内容がそもそも合わなかったと感じています。
次に就いた職場では、半年くらいかな営業の人たちと馴染めず、そこから江原啓之さんの著書を拝見し、
その時心底嫌いだった人はもしかして自分の写し鏡なのではないかと気づく。
私の嫌な面をこの人に見出すから嫌なのでは!?そこまでは気づくが、そこからどうするのか、
というのはまだ答えが見いだせないのでした。良いところまで来てたけども(笑)
その後も、本当の意味で「この人は私の写し鏡」であることに気づいて私自身軌道修正するまで、
職場を変えようが人を変え見せられてきた。ありがたいことに、それをズバリ指摘してくださる
サイキックの方に出会って、「Yoshieさんは本心を伝えることに恐怖を感じている。
口で言えないならメールなどで伝えてみること」と言って頂いた。
続きます。
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