人生劇場~何をどう捉えるかは自分次第~

知り合いのAさん。物の捉え方がユニーク。シンプルな出来事が、いつの間にかドラマティックになっていることがある。
ご本人はいたって正直で、見たものを正確に伝えている(言っていることはその通りだったりするので)のだろうけれど、言わなくてもすむ言葉が散在し、かつ専門用語を使って分かりにくくなるので、言われた方は「何が聞きたいの?」となったり、時には深堀りされて「喧嘩打ってんの?」と怒られたりもする。数回のやり取りで解決するようなことが、いつの間にか炎上していたりして。
「あれ?私が見てるのって、朝の連続テレビ小説のほのぼのドラマちゃうかったっけ?火サスやったか?」と自分が見ていたTVチャンネルを二度見するような場面に遭遇する。ほのぼの家族のおとっつぁんとおっかさんを自分は見ていると思っていたのに、ちょっと目を離したすきに、おとっつぁんがおっかさんを崖に追い詰めていた・・・みたいな。

Aさんが見ている場面と私が見ているは場面は同じ。その場面をどう捉えるかの、視点の違い。

火サス・・・⁉
ほのぼのドラマをみていたつもり

以前過去生をみた後に、ある意味人はみんな俳優であり、役を演じに地球に来ているんやなと感じたことがあったけど改めてそう感じる。私は、Aさんと関わって冷静でいられるのかというと、自分のハートがグラグラと揺さぶられる。Aさんも私も自分の発言に、行動に責任を取るのが、怖いのかも知れないと感じる。「私はAさんよりまし」これは違う。なぜなら人と比べるものではないし、程度の多少は関係なく、私の中に恐怖心がないならば、Aさんを見てもハートが緊張することはない。
Aさん私に気づきをもたらしてくれて、ありがとう。と愛をもって感じることができるなら、恐怖心は薄れるのかも。
Aさんと話をしてみると、可愛くも思えてきて、これが愛なんかな、と感じることもある。感じない時もある。感じない時は、自分を解放して受け入れて愛するのみ。ただ愛で、光でいること。


ちょっとづつ、ちょっとづつ。
Love💖Yoshie



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