「信じる、信じないはあなた次第」という決め台詞で締めくくる番組がありますが、
みなさんは前世というものを信じますか?今日は私が2日連続で誘導なく自分で前世を思い出した話を書きます。数年前のクリスマスの時期に、2日続けて前世を自分で思い出しました。
1日目は自分が加害者的立場だった時の私。ヨーロッパのどこかの国の男性でした。
どうやら宝石を扱う商売をしていたのか、出資をしてもらって一攫千金を狙うようなことを生業としていたのではないかと感じました。
「申し訳ない」という私の感情とは別の感情がわっと浮かんできて、「なんや!?この感情は。
これは私の感情じゃない」と感じたのです。
沢山の方からお金を出資してもらったものの、肝心の宝石が掘っても出ない。
出資者を騙すつもりは当初なかったものの、どうしても宝石が取れないため、そのお金を持って夜逃げ同然、
一人で逃げた感覚が浮かびました。
所帯を持っていたようですが、全て捨ててお金だけ持って逃げた。
その罪悪感もあり、その後の人生は幸せではなかったようです。これが加害者として思い出した1日目。
前世療法で誘導してもらった訳ではなかったけれど、浮かんでくる光景や感情ががリアルでした。
2日目は被害者として。部屋でぼーっと過ごしていると、突然殺意が浮かんで、1日目と同じく
私の感情ではない感覚があり、混乱状態。浮かんだのはヨーロッパのシスター。
戦争の時代だったようです。敬虔なシスターでしたが、戦争によって混沌とした状況の中で
自ら命を絶っています。
あれほど愛したイエス様、マリア様のことすらも、亡くなる時には憎悪を抱いていて、
また神に仕える身でありながら命を自分で断つことへの罪悪感もあり、叫びだしそうな程の
かなり強い感情が浮かんできました。
殺意は、自ら命を絶つきっかけを作った、ある人物に対するものでした。さらに驚いたのは、
今世生まれ変わったこの人にリアルタイムで出会っていたのです。
当時、生理的にどうしても受け付けない人でした。この前世を思い出して、生理的に受け付けないのは
このせいかと気づいたのです。
前世のシスターを癒し、イエス様、マリア様のもとでにっこりと微笑む姿を見ました。
生理的に受け付けなかった人もその後急に平気になりました。私の見方が変わったからか、
その人の態度が違ってみえました。
加害者と被害者、これは自分の捉え方なので神的視点から見ると、そんな分け方というのはないのだと感じます。
そして客観的にみると、被害者と加害者を演じる役者の感覚に近いものを感じます。
どんな人生であっても色んなことを経験しに生まれて来ていると感じます。
役割を決めて生まれてきているのだと。
シスターの時に加害者だったあの人は、宝石商の時の被害者かも知れない。
そう思うと、やみくもに人を批判するということがいかに愚かなことか、ということにも気づくのです。
人生劇場という言葉がありますけれども、本当に人生は劇場、人はみな役者なのかも知れません。
地球に生まれるって奥深い。
そんなことを、2日で経験したある年のクリスマスでした。
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